しょろっぴー




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【ラインナップ】


『人生相談 赤“偽”屋』ノベライズ版第一話

『人生相談 赤“偽”屋』ノベライズ版第二話









第一話


心霊スポット
妖怪伝説
怪事件……

そんなものが数多く存在するこの町

『矢札町』

ここには ある有名な 都市伝説があった

その名も

「無人通りの 相 談 屋」


・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・



「ほーう。誰もいない保健室に声をかけると現れる幽霊、『花子さん』ねぇ……。」
異様な出て立ちの男は閉じた扇子を顎に当てがうと、目の前の少年を三白眼に見上げた。
「成る程、今の話で十分繋がった。この件については特に調べなくとも詳しく知っている。」
少年はごくりと喉を鳴らして男を見つめた。だが男はそんな様子など気にもせず扇子の先を少年に向ける。
「直ぐに何とかしてやるよ。あんたは今から現場へ行くんだ。」

「ねぇねぇ、今日ちょっと寄ってきたいトコあるから付き合ってくんない?」
「今日?これから? いいけど…あ、待って。ノド乾いたから何か買わせて。」
少女は近くにあった自動販売機に歩み寄ると、そば茶のボタンを押す。
「何その渋いヤツ… ハマってんの?」
「うん。 …で、寄ってきたいところって?」
フタを開けるなり半分ほど一息に飲み干して、少女―― 県立茶川(さがわ)高校2年の 川瀬未緒 は友達の方を振り向いた。
だが友達―― 同じく茶川高校2年の 水守愛衣菜 は、古びた本を片手に塀の下を覗き込んでいた。
「未緒、今の見た?! 今の、絶対妖怪"地面滑り"っしょ!」
耳にたくさんピアスを開けショートカットの似合うイマドキの女の子だが、愛衣菜が夢中なのは恋愛やドラマではない。
妖怪や心霊現象、なのだ。
(私よく友達やってるなぁ…。)
今塀の下に滑り込んだのは妖怪ではなく三毛猫だった気もするが、そこには触れず未緒は苦笑いする。
「でた、その変な本…。」
「なっ… 変な本とは失礼な! この本はこの町にしか存在しないローカル妖怪も載ってるスゴイ本なんだよ?!」
「あー… そうだったね…。…で、寄ってきたい所って?」
「ああ、うん!その前にさ!うちのクラスの河村ってわかるっしょ?!あいつ、幽霊に取り憑かれてんだって!!!」
ハイテンションな愛衣菜に、未緒は一つ頷く。
「ふーーん。」
「何その反応!!」
「いやだって愛衣菜そういう話ばっか…」
「今回のは特別!!」
話しながら歩く二人の側を、ランドセルを背負った子供が無邪気に走り去っていく。 平和だ。
できれば自分もあちらの平和側に入りたい。
だが愛衣菜は諦めていない。
「いい?その河村が今、例のアレに行こうとしてんだって。」
愛衣菜がひょこと未緒の顔を覗き込む。
「…例のアレ?」
思わず聞き返すと、愛衣菜はしめた、とばかりに拳を突き出した。その目は怖いほど真剣だ。
「行き方についてはあんなにハッキリ言いつがれてるのに、辿り着けた人は誰もいない。それなのに評判だけが一人歩き… そんな謎の都市伝説!『無人通りの相談屋』にね!!」
バーン。
(このコ、プレゼンやったら上手いかも…。)
若干引き気味に見ていると、愛衣菜はグイッと未緒の手首を掴んだ。
「みんなビビッて行かないのに勇者が出現したんだよ!一緒に野次馬しに行こ!!」
(そうくるのかー!!)
「ま、待ってよ!野次馬って…なんで!?」
未緒の言葉に、ぐいぐいと歩いていた愛衣菜がピタリと足を止める。イヤな予感しかしない。
「決まってるっしょお…?都市伝説の真相を!確かめるんだよ!!」
くるりとこちらを振り向いた愛衣菜は、それはそれはキラキラとしたいい表情だった。
あ、これ引き返せないパターン?
未緒は間違いなく自分が事故に巻き込まれていることを自覚したのだった……。

「ねぇ、ところで愛衣菜?」
「んー?」
「無人通りの相談屋って何?」
「はああ?!」
大分歩いたところで未緒が首を傾(かし)げると、愛衣菜が噛み付く勢いで振り向いた。
「そんなんも知らないの?!未緒ホントに矢札町民?!」
「そ、そんなに有名なの?」
言いながら、河村が相談に行っているということを思い出した。
河村といえば、ロン毛のチャラい三人組の一人だった気がする。
あんなに至ってフツウそうな高校生が行くのだから、やっぱり有名なのだろうか。
「いい?無人通りはわかるっしょ?」
歩きながら愛衣菜が慣れた口調で説明を始める。未緒も うん、と頷いた。
「海の方にある、廃墟になった商店街のことだよね?」
「そう!その無人通りの正面入り口から向かって右側、九軒目のシャッターが閉まったお店。そこに入ってシャッターをまた完全に閉めるの。そうすると、なんとその空間が異界と繋がるんだって!」
「異界?」
「そ! でね、そこにいる相談屋に霊に関する悩みを言えば、パクッと解決してくれる!…ってやつ。」
「ぱ、パクッ?」
「そう、なんかオモシロイでしょ?」
「う、うん…。でも、それって所詮 都市伝説でしょ…?」
――その時、ふわりと生温い風が吹いた。なんだか妙な湿り気を含んだ重い風だ。
「……え?」
ふと辺りを見回し足を止める。
静かなその通りは不自然な程人気(ひとけ)が無い。
思わずペットボトルの中身をごくごくと飲む。すっかり温くなったその喉ごしさえ、なんだか無気味だ。
「こ、ここって…」
頭上を見やると、そこには古びた「平成通り商店街」の文字があった。さびついたアーケード看板だが、これこそが「無人通り」の本来の名前である。
「なんでもう着いてるのー?!」
未緒は悲鳴を上げたが、愛衣菜は横でウキウキとしている。
「さ!行こ!」
「いや、いやー!」
愛衣菜が未緒の手を取り、立ち入り禁止のチェーンをくぐろうとする。
…その時。
「ん?」
ガラガラという重い音がし、二人は無人通りの奥を覗き込んだ。
「河村…?」
そこには、今まさに店から出てきたのだろう河村の姿があった。シャッターを閉めている。
「河村!」
愛衣菜がパッとチェーンをくぐって走り出す。
「えっ、ちょ…!」
慌てて、未緒もまたくぐってしまった。
「河村ー!」
「えっ…水守?川瀬も…。」
シャッターを閉めきった河村が驚いたように顔を上げる。
「か、河村君…もしかして、本当に…?」
「どうだったの?!相談屋に行ってきたんでしょ?!」
「あ、ああ…知ってたのか…。」
河村―― 河村純は、二人から少し視線を外し、ゆっくり頷いた。
「噂は…、本当だった…!」

「俺、先週学校の七不思議を試しに行ったんだ。大野と安田の三人で。」
「七不思議?」
「そう。保健室の花子さん。最初はもちろん冗談のつもりだったんだ。…なのに、深夜行ってみたら、本当におかっぱ頭の女の子に会っちまって…。」
河村を真ん中に挟む形で歩き出すと、河村がゆっくりと静かに口を開いた。 辺はいつの間にか夕暮れの薄闇に包まれ始めている。
「そ、そしたら、なんでか…なんでか、俺だけそこから逃げられなくなっちまって…。怖いし、気味悪ィし、もう行きたくないんだよ。なのに、花子さんが毎日、明日も来いって…笑うんだよ。そのせいか俺、深夜になると…!」
河村は、はははと乾いた笑い声を上げて頭を抱えた。
「俺、もう耐えられなくて…。」
…つい、未緒と愛衣菜は顔を見合わせた。
河村の様子からして、彼は本当に 会って しまったのだ。
そして、それから毎晩…。
ゴクリと喉を鳴らす。けれど、未緒はそっと先をうながした。
「それで…相談屋はなんて…?」
「なんか、もうこの件は調べる必要がない、とかで…すぐ、現場へ行け、って…」
「現場って、保健室?!」
「おう…なんか、そこに従業員を向かわせるって…」
「!!!」
途端、愛衣菜がパッと表情を変えた。
「行こう!」
「は?!」
「行こう早く!」
「なんでそんな楽しそうなの?!」
…だが、未緒の叫びも最早愛衣菜には届かない。愛衣菜はもう既に走り出す勢いだ。
こうなった愛衣菜は、もう止まらないことを未緒は知っている。
だてに友達を続けてはいない。
「…なんか、ごめんね?」
「え?」
「愛衣菜、楽しんじゃってて。」
「あー… いや、俺も一人で行くより、ゼンゼン…。」
愛衣菜はもう二人より先を歩いている。
何となく沈黙で歩くのも気まずく、未緒は何か話題は無いかとキョロキョロする。 …そして。
「そ、そういえば、髪切ったの?」
「え?あ、ああ…暑ィから…。」
記憶にある河村より、髪が短くなっている気がしたのだ。
河村も無言が気まずかったのだろう、おずおずと笑った。
「ほら、最近暑ィ日ばっかじゃん?」
「そうだね、もう夏だもんね。」
「川瀬さん、暑くねぇの?」
「あはは、なんかもう慣れちゃった。」
未緒は髪を少しだけお団子ヘアにしているが、ほとんどは結ばず流している。もうそろそろ腰まで届くほどの長さだ。
「でも髪洗ったあと、乾かすの大変なんだー。」
「あー、大変そう…。水守は楽しそうだよな。」
河村の言葉に愛衣菜の姿を追うと、愛衣菜はもう大分先で二人に手を振っていた。
「は、や、くー!」

…そうして、三人で学校へ戻ってきたわけだが。
「うーん…?」
「なんつーか…」
「ねぇ?」
「なぁ?」
校舎に入り、保健室の前まで来たところで未緒と河村は はははと乾いた笑い声を上げる。
「人、いなさすぎじゃない…?」
校内はおろか、校庭や、門扉の辺りに至るまで。
誰一人として歩いている人間がいない。
ただ、そんな状況を楽しむタイプが一人。
「ねぇどういうこと?!学校中に人いない感じなんだけど!!ヤバいっしょこれ!!」
「きょ、今日人がいないのは職員会議だからだよ!」
「ぶ、部活も休みの日だしな…!」
「いやいや、それでもいなさすぎっしょ!」
「それはね、オバケのしわざだよっ!」
「…っ、きゃあああっ?!」
突然、三人以外の誰かが会話に加わった。
三人それぞれ悲鳴や叫び声を上げるが、やはり唯一…
愛衣菜は楽しそうである。
けれど、突然現れたその少年はそんな三人の様子も意に介さず、にっこりと笑った。
「オバケはね、自分が出やすくするために余計な人間が近づけないよう周りの空気を重くするのさ。」
…そう言う少年は、まだあどけない子供だった。頭に大きなボンボンの付いた毛糸の帽子をかぶっている。
大体、小学生くらいだろうか。
「も、もしかして君が…?」
河村が腰をかがめると、少年は そう! と明るく笑ってピースサインを出してみせる。
「はじめまして!おれはアカギ屋従業員の兼太です!今日はよろしくね!」
「!! シャース!」
ワラにもすがる、というのだろうか。河村は深々と頭を下げた。
「えーっとね、レン兄もそろそろ来ると思うんだけど…。」
「レン兄?!それ相談屋の名前?!」
愛衣菜が嬉しそうに兼太に訊ねる。
――その時。
兼太の影が、ずずっと蠢(うごめ)いた。
「ひぃっ?!」
何と、次の瞬間 そこから角が生え―― 何か人長(ひとだけ)のものがずるるるっと現れたのだ。
「悪い、遅くなった。」
突如姿を現した 男 は、大して悪いとも思っていないような声でそれだけ言った。
真っ黒い髪に、臙脂色(えんじいろ)の羽織… そして、頭に斜めに付けた般若の面。先ほどの角は般若面の角だったのだ。
「!!!!!?」
驚きで口を利けなくなっている三人に、男はペコリと頭を下げる。
…下げてはいるが、その態度は尊大だ。
「――初めまして、人生相談赤偽屋の店主、赤城錬二郎と申します。俺自身はあの場から動けないから、生霊で失礼。」
「生霊?!てことは…幽霊?!」
愛衣菜がはしゃぐが、男はふわりと宙に浮いたまま一瞥しただけで視線を河村に据えた。
「…こちらは?」
「すいません、ついてきてもらったんです…。」
「あたし、水守愛衣菜です!」
「私は…川瀬未緒です…。」
はしゃぐ愛衣菜につられ未緒も名乗る。正直、何が起きているのかよくわからない。
だが男は ふーん とその姿を見つめると腕を組んだ。
「ま、よろしくな モアイ、カワセミ。俺のことはレンジとでも呼んでくれ。」
…ぽかん。
…多分、多分、ミズ モ リ アイ ナでモアイ、カワセミ オでカワセミ。なのだろう。が。
「はああ?!なんなのあんた!初対面の女子高生にモアイって!」
「何言ってる。イースター島でモアイは美の象徴だぞ。」
愛衣菜が噛み付くように言うと、レンジはケロリと言い放った。
「えっ、そうなの?」
愛衣菜は一転して喜ぶが…
「レン兄は嘘つきだから真に受けない方がいいよ?」
「嘘かよ!!」
兼太の言葉に再び噛み付く。
「ち、ちなみに河村君は?」
「あー、俺は…」
「そんなことより。無駄話は終わりにして ちゃちゃっと終わらせよう。」
レンジが全員を見下ろすように、ふわりと高く浮かび上がった。
「ど、どうするの?」
未緒が聞くと、レンジは保健室の扉の前に下り立った。
そして一声、呼ぶ。
「はーなこさんっ あっそびーましょ!」
……だが、何も起きない。
レンジはふんと笑い、扇子をかざす。
「俺のことはお呼びじゃない。 …ああ、モアイちゃんなら適任だな。」
「ええっ?マジで!やったぁ!」
愛衣菜はぴょんとジャンプすると、ウキウキと扉へ近付く。
そして…
「はーなーこさんっ!!あっそびーましょ!」
……。
「…え?」
何も起こらない。
「ちょ、ちょっと…何も…」
起きないよ、と。
振り向こうとした、愛衣菜の横で。
カチャン。
……扉の鍵が、開いた。

「さて。」
鍵の開けられた扉の前で、一同が凍りついているとレンジがニヤリと笑った。
「招待されたみたいだぜ。中へ入ろう。」
その言葉に、愛衣菜が扉を開ける。不安そうな河村も、ゆっくりと続き… 全員が部屋に入ると、兼太がパチンと明かりを点けてしまう。
「え?明るくしちゃって…」
言い差した未緒がふと足元を見やる。
そこには…
「いやああっ!!」
恐ろしいほど目を見開いたおかっぱ頭の少女が、未緒を見つめていた。
「…けぇ…」
「えっ…?」
「出ていけぇぇっ…!!」
少女はぐりんぐりんと首を回しながら、未緒とレンジ、そして兼太をニラみつける。
「お前らっ 三人ッ 出ていけぇ!!」
「え、ええっ?!」
未緒が目に涙を浮かべていると、レンジがすっと口を開いた。
「やっぱりな。花子さん、あんた遊んでほしい人… いや、会いに来てほしい人を選んでるな?」
「……?」
その言葉に、それまですさまじい声で叫んでいた少女がピタリと声を抑えた。
「ど、どういうこと?」
未緒にもさっぱり意味がわからない。
するとレンジが、見てみろ と河村と愛衣菜の方をうながす。
「花子さんが受け入れる人間には、同じ特徴がある。」
「同じ特徴…?」
未緒は河村と愛衣菜、そして自分を見比べる。
(そういえば、河村君言ってた…。俺だけ逃げ出せなかった、って…。一緒に行ったのは、安田君と大野君…。……あ?!)
「もしかして… 髪が、短い?!」
「その通り。」
「えっ… でも、どうして髪が短い人がいいの?」
愛衣菜の言葉にレンジが首を振る。
「そうじゃない。『髪が長い人が嫌』なんだ。俺も兼太も大して短くはないしな。 さあ答えろ 花子さん。」
「……。」
…だが、少女は何も言わない。
「まぁ無理も無いな。幽霊っつうのは生前の記憶のほとんどを持っていない。あんたは三十年も前だしな。」
「…三十年? …なんで、そんなことまで…」
「俺は花子さんの全てを知っている。」
「え?!」
驚く三人を横目に、レンジが扇子の先を少女に向ける。
「まあ見てなって 花子さん。あんたの記憶、今から俺が

あっため直してやるからよ。 」


「さて、整理しよう。花子さんは県立茶川高校の保健室に出る。そして三十年前に死んだ小学生。髪の長い人は嫌、短い人が欲しい。俺はムジュン君に話を聞いて、あんたのことがすぐに分かったよ。」
未緒はちらりと河村を見た。その表情は苦笑い。やっぱりか。
カワ ム ラ ジュンで、ムジュン…。
「今の先生は女性だが、当時は男性だったようだな。その男は矢札北小学校の人気教員だった…。」
ピクリ、と少女が肩を揺らした。
レンジはそれを見逃さない。扇子をパチンと鳴らす。
「さあ!俺の読みは当たっているな? あんた、それなら…あの流行を知っているな?」
「……。」
少女は何も答えない。
「それならこっちだ。もう一つのキーワード、足立真貴子。」
途端、少女の目付きが変わった。
「彼女が右を向けば皆それに倣う、矢札北小の絶対的存在。彼女の自慢は―― ……さて、花子さん。もう一度だ。 なぜ髪の長い人間を嫌う?」
「……っ」
「足立真貴子、彼女の自慢はロングヘアー。彼女によって、北小ではロングヘアーが流行。ところが一人、ショートヘアーを貫く人間がいて… その子はそれを原因に、イジメられていた。」
「!!」
三人は はっと息を飲んだ。愛衣菜が二人を振り向く。
「だからロングヘアーが…?!」
「なるほど…!」
「そして!」
レンジが愛衣菜を黙らせるように短く声を上げた。
「…そして、その少女はコジキと呼ばれた。――さあ花子さん、思い出したか?せめて… 自分の、名前ぐらいは。」
「!!?」
「花子さん、なんて怪談の名前だ。 なぁ、そうだろ?
――"足立真貴子"さん。」
「ええ?!」
「う、嘘だろ?!」
「……。」
「でも足立サンはロングが自慢って…」
「あ、あの…」
未緒が口を開いた。
「多分、コジキは…」
「そうだな。コジキは嫌われていない。むしろ好かれていた。じゃあなぜイジメに?」
「え?」
少女が―― 真貴子が、顔を上げた。
「思い出せないのか?あんたが、イジメを強要したのに?」
「……」
「そんなことをして、本当に嫌われていたのは…誰だったんだろうな?」
「…あたしだっていうの?!」
「?!」
レンジの言葉に、真貴子の表情が一変する。
けれど。
「違うのか?その髪… イジメさせていた奴らに 切られたんだろう?」
「う、ううああ…!」
「――そして、あんたが頼ったのは…」
「……! ご、五条…先生…。」
「あんたはきっと言われたはずだ。『大丈夫。君の事を本当に大事に思ってくれている友達なら、自分も髪を短くして謝りに来てくれるさ。だからもし教室に行くのが辛かったら、ここでその友達を待てばいいよ』。」
「……。」
三人は、ただじっと事の成り行きを見守った。
もう…何も、言えない。
ただ、レンジは口を閉じなかった。
「で?」
「え」
「誰か来てくれたのか?」
――途端、真貴子を包む空気が変わった。
「あんたの事だ、全員に言いふらしたんだろ。 でも誰一人としてここへは来てくれなかった。そしてある日―― あんたは交通事故で、死んだ。」
「ちょ、ちょっと…さすがに、詳しすぎない…?!」
愛衣菜がハッとしたように口を挟む。するとレンジは、ふんと鼻で笑った。
「昔…聞いたのさ。当事者…五条先生から。」
「え…?」
真貴子がレンジを見つめる。
「おかしいと思わなかったのか、お前。周りにいた連中が、いきなり掌返したんだぞ。」
ドクン、と。
真貴子の心臓が跳ねる。
「五条はコジキの味方に付いたんだ。あんたをこらしめ、本当の友達なんていないと自覚させるために。」
「……。」
ドクン、ドクンと鳴る、音がうるさい。
全身に冷や汗が浮く。
「あんたは正真正銘の―― 嫌われ者だ。」
その瞬間。
「うわあああーーッ!!」
泣き叫ぶ真貴子の全身から、真っ黒い闇が飛び出した。
「兼太。」
「よっしゃ!」
呼ばれた兼太が、帽子に付いた小さな鐘を鳴らす。

チーン

その音が鳴り響くや、レンジの姿が大量の煙に包まれる。
そして、だんッと。 足 が、床を踏みしめた。
「全く、立派な『屈辱』だ。」
言いながら、ぱたぱたと扇子を開いていく。
「だがそんなもの、もうあんたにゃ必要ない。 だからッ」
叫ぶなり、レンジはその扇子で―― 闇を切り放した。
「――根こそぎ全部、俺によこしな。」
そう言うなり、固唾を飲んで見守る三人の目の前で…
「な、何、あれ…?!」
ガツガツと、喰らい始めた。
それを見ていた愛衣菜が、ふと本を取り出した。
「ねぇ、これ見て…。」
「?」
未緒と河村が開かれたページを覗くと、そこには…
「…?! ええっ?!」

"二枚舌 人の姿をした妖怪 巧みな話術で相手の感情を引き出し 喰ってしまう"
"二枚舌に喰われた感情は 二度と元には戻らない"…
"また 二枚舌の噂をしていると影から忽然と現れ襲われてしまうため その正体が知られず被害が多発"
"しかし後に、術者によって 異界に封印される"…

「"一見 人間と見分けがつかないが、文字通り舌が二枚あるのが特徴である"…って…」
…そして、恐る恐る三人が見た先で、レンジの口には…

「…さあ」
レンジに声をかけられ、三人は思わず体をビクリと震わせた。
「これで真貴子は悪霊ではなくなった。…カワセミ、あんたの知り得た 事実 で、真貴子の未練を断ち切ってやれ。」
「…!」
突然呼ばれた未緒だったが、…ゆっくりと、真貴子に近付いた。
「ま、真貴子さん。…あなたは、嫌われ者なんかじゃないよ…!」
「…え…」
「私、この前プールで足つらせてここに来たんだ。…古島(コジマ)先生… 古島公恵(キミエ)先生は、ショートカットが似合う、保健室の先生だよ!」
「…!!」
「ちなみにな、真貴子。五条先生、毎年あんたの命日にここへ来ているぞ。気付かなかったか?」
「……!!」
「真貴子。あんたがここで三十年も待ち続ける必要は無かったのさ。」
――途端、保健室が暖かな光に包まれた。
「そう…そう、なの…。」
真貴子は光の中心で微笑んだ。
そして…
「よかった……」
ふわりと、光に包まれ昇天した。

「さて。これにて一件落着。腹も満ちたし、俺はここで…」
「ちょ、ちょっと待って!」
出てきた時同様、兼太の影から消えようとしているレンジを未緒が止める。
「なんで、古島先生のこと私に…?」
「いや、つーかなんで川瀬さんはわかったわけ?」
「え、それは、だって…コジ マ キ ミエは、コジキでしょ?」
「単純明快!!」
「…お前」
「え?」
レンジがニヤリと笑う。
「お前、カワセミオ、だろう?」
「そ、それが…?」
「真貴子は地縛霊、この世に未練がある。ミレンのミは ミオのミ だ。」
川瀬未緒、なのである。
「な、なんで私の漢字まで…!」
「ふん。――ああそれから。異常に喉が乾くなら、俺の所まで来い。ただし一人で だ。」
言うなり、レンジは素早く兼太の影へ消えてしまう。
「なっ、なっ…?!」
どういうコトよーー という叫びは、夜の保健室に空しく響くのであった…。


「無人通りの相談屋」

そこに辿り着けたという者は 誰一人としていないのに
確かな評判だけが 一人歩きする……

これはそんな謎の都市伝説の


話である。


「川瀬未緒、か……。」


―第一話 完―





第二話



元々 水辺には色々なモノが多く集まる。
人間や動物・植物は勿論として、霊や妖怪といったものまで。
けれど、闇を忘れた現代人は、そんな事まで忘れ去ったのだ……


よく晴れたとある日。
長かった梅雨も明けすっかり夏を迎えた最近は、至る所で風物詩を見かける。
風鈴、蝉、青々とした葉の茂る田んぼ…そして。
「いーなー午後のプール…気持ちよさそうだな――…」
ここ、矢札町にある県立茶川高校では水泳の授業が行われていた。
ばしゃばしゃと水音をたてる生徒たちは一生懸命で辛いかもしれないが、横で見ている人間としては涼しそうで気持ち良さそうで羨ましいものなのだ。
そう、横で見ている川瀬未緒としては。
一人プールの側で体操服を着ている未緒はつまらなそうに授業を見学している。
そこへぺたぺたと足音をたてながら近付いてきたのは、クラスメイトで親友の水守愛衣菜だ。
「そんな羨ましいなら未緒も入ればいいじゃん!」
「うっ…じ、実はこの前足つって溺れたのがトラウマで…」
「ああ、そういえばそんな事あったね…あ!そうだ!!溺れるといえばこんな話があるんだけど…」
「コラァ水守ィ!!とっとと並べー!!」
「すいませーん!」
遠くから体育教師がこちらを指差している。
だが、怒っておきながらその視線はすぐプールの方へ戻った。
「……」
二人はそれぞれそんな教師の様子を窺っていたが、愛衣菜はパッと未緒の方に向き直った。
「…でね?この辺りの川やプールってやたらと人が溺れかけるんだって。それでね?その人たちはみーんな…何かに足を引っ張られて、次の瞬間『お前か』って聞かれるんだって!!」
「キャッ」
目を見開いた愛衣菜に詰め寄られ、思わず小さく悲鳴を上げる。
愛衣菜はそんな未緒に満足したのか、ケラケラと笑った。
「実は未緒のも"それ"なんじゃないの〜?」
「ち、違うよ!私は足がつっただけだし、そんな…」
その時。
ドボン!という音と同時に、キャーと悲鳴が上がった。
「鳩ヶ谷!大丈夫か 鳩ヶ谷!」
「鳩ヶ谷さん!!」
二人は言葉を失って顔を見合わせた。
「……」
「こ、これって…?」
水の中でバシャバシャと暴れていた少女は早々に教師によって助けられたが。
どう見ても 溺れていた …。

――そして放課後。
未緒と愛衣菜は保健室へやって来た。
「鳩ヶ谷さーん…」
「大丈夫?」
途端に。
「あー!!不法侵入者!」
保健室の人気先生、ショートカットのよく似合う古島公恵が バッと二人を睨んだ。
「不法侵入者め!何しに来た不法侵入者!」
「そ、そんなに不法侵入言わないで下さいよ〜…」
「その節はすいませんって」
古島はふんと鼻を鳴らすとベッド脇のイスに座った。
「聞いてよ鳩ヶ谷!こいつら河村と一緒に放課後勝手に保健室入ってたんだよ?放課後っていえばまだいいけど、ほんとは夜だったんだから夜!しかも記憶ないとか言ってんの!」
「ほ、ほんとなんですって!」
「もー、あんな時間に何やってたんだか…」
ぶつくさ言う古島に愛衣菜がひょいと首を傾げる。
「てかキミちゃんこそあんな時間に何してたわけ?」
「私は必要な資料置きっ放しにしちゃってたから取りに戻ったのよ」
「キミちゃんたら、おっちょこちょいだナ☆」
「やかましい!」

――その後。
鳩ヶ谷から話を聞いた二人は人通りの少ない道を並んで歩いていた。
「ね、ねぇ愛衣菜、やっぱりやめよう?」
「何言ってんの、鳩ヶ谷さんの為だって!」
そう言う愛衣菜の表情は真剣だ。真剣、…だ、が。
(愛衣菜、隠せてない…隠せてないよ、ウキウキ感…)
二人が向かっている先、それは平成通り商店街というサビレた…
(通称"無人通り"の相談屋…!!!)
未緒はその商店街の入口に はぁぁ とため息をつく。
人が、いない。
不審なほど、…人っ子一人、いない。
「待ってよ…ここ、立ち入り禁止だよ?」
「関係ないっしょ!」
(いやいやいや!!)
鎖をひょいとまたいで進んでいく愛衣菜。
未緒も置いて行かれまいと慌ててその背を追いかけた。
「えーと、正面入口から向かって右側、九軒目…!」
一、二、三…と数えていき、九軒目の前に立つ。だがその店も他の店同様にシャッターが閉じられていた。
愛衣菜はためらう事なくシャッターに手を掛け持ち上げる。
開いた店内は闇といってもいいほど真っ暗だった。
「さ、未緒、入って!」
にっこにこ。
(なんでそんなに楽しそう〜?!)
「あ、愛衣菜 先に…」
「だーめ!あたし先に入ったら、未緒逃げるでしょ!ほら早く!」
それでもまだ逃げたがっている未緒の背をぐいと押す。
「未緒だって被害者なんだし!ちゃんと相談しとこ!」
そして未緒を店内に押し入れた時だった。
「コラ―――ッ!!」
「!!?」
ギョッとした愛衣菜が声の方を見ると、自転車にまたがった警察官が商店街の入口からこちらを睨んでいた。
「ヤベッ…あ!?」
「え?!」
ガシャーン…。慌てた愛衣菜が両手を頭上に上げたせいで、支えを失ったシャッターが勢いよく閉まった。
(…え…)
シャッターの内側には、未緒一人。
「あい、な…」
真っ暗で何も見えない。
恐る恐る手を伸ばすが、その手はなぜが シャッターには当たらず、 宙を掴むに終わった。
「な、なんで…」
愛衣菜に押されて入っただけで、シャッターから離れたつもりは無い。
…にも関わらず。
(どうしよう、どうしよう…)
明らかにおかしい空間だ。
しかも…何かの気配を感じる。
そーっと、そーっと…。未緒がゆっくり振り向くと、そこには「人生相談 赤偽屋」の看板を掲げ、店表にはのれんを下ろし…それは、完全に"家"だった。
「何、これ… 人生相談?赤 城 屋…?」
……。
(ああ、これって…帰れない、パターン…?)
前は暗闇、後ろには店。
……。
(こ、こうなったら…!)
カバンをあさり、水の入ったペットボトルを取り出す。
それを一気に半分以上も呷(あお)って、深呼吸をする。
ドクドクドク…と、心臓が早鐘を打つ。
それでも手を伸ばし、両手で引き戸に触れる。
(いくぞ、いく、いく、いくぞ…っ!!)
「わ―――っ!!!」
「あ―――っ?!!」
バーンッ と、勢いよく戸を開ける。
と、その勢いに驚いた人物が一人…
「あ、あ…?」
「……だ、誰?」
「……え、え、…きゃあああッ…?!」
男性が手を振り下ろした、と、思ったら、未緒の目の前にドチャッと何かが落ちてきた。
――切断された手である。
「きゃああ、いや――!!」
「いやーっていうか…誰…あ、違う!!痛い!!!イダダダダ!!」
「きゅ、救急車…!!って、え?!」
慌てた未緒が救急車を呼ぼうとするも、スクリーンの端には圏外の文字が。
「なんで…」
「あー、びっくりした…。思わず切っちゃったよ… あ、君、俺なら大丈夫だよ」
その男性はもう落ち着いたのか呑気に額の汗を拭っている。
「いやっ、大丈夫じゃ…手、手…!」
"切っちゃった"どころではない。切り落としているのだ。
だというのに、男性は未緒の足元の手首を拾い上げ無造作に手首の切断面に押し付けた。
「え、や…っ?!」
すると何と、それはみるみるうちにくっ付き始めたのである。
骨が、筋肉が、血管が、そして皮フが…。
「俺の体は細胞の一個でも残っていれば再生できちゃうんだ!驚かせてごめんね!」
男性はそう言うと胸の前で両手を広げてみせた。言葉の通り、その手首はもう再生してしまったようで傷の残りも見えない。
「俺は赤偽屋のもてなし担当で、不死身男の生勝っていいます。よろしくね!君は相談で来たんでしょ?店主は奥に居るんだ、おいで」
生勝は奥へと続くのれんをくぐっていく。
それに恐る恐る続いた未緒はひっと小さく悲鳴を上げた。
そこには般若面をした人間が身じろぎ一つせず座していた。
…と、生勝がひょいと首を傾げた。
「あー、なんだ留守か。ちょっと待ってね、すぐ呼ぶから」
そして横に置かれていた大きな鐘をチーンと鳴らす。するとその人間がボウンと白い湯気に包まれ…
「どうしたー?生勝っつぁん、また新作料理の試食?」
人間が…今まで死体のように動かなかった男が、急に動き出したのだ。
そしてその声を聞いた瞬間、未緒は一気に思い出したのだ。
「ああああ――!!」
「あ…!カワセミか!」
男…赤偽屋 店主にして、妖怪 二枚舌の…
「レンジ…!」
「この前ぶりだな、カワセミ」
「え、レンジの知り合い?」
「おう、カワセミってんだ」
「レンジ…ちょ、まさか留守って、今まで生霊として人の影に入ってて、そこから戻ってきたってこと?!」
「さすが、飲み込みが早いな。生勝っつぁん、茶をくれ」
「はいはい」
レンジに言われ、生勝が姿を消す。
と、何だが急に空気が重くなったような気がして、未緒は視線をさ迷わせた。
「…カワセミ、お前何か相談があるんじゃないのか?」
「あっ…!」
その一言で何をしに来たのか思い出す。
「…実は最近、この町でよく人が溺れてるらしいの… 今日も、私のクラスで水泳の授業中に女の子が溺れて」
「それは大変だったね、その子は無事なの?」
お茶を手に生勝が戻ってくる。どうぞ、と座布団をすすめられ腰を下ろすと温かいお茶を渡された。
「ありがとうございます… その子は無事だったんですけど、でも…その、彼女が言うには…」
「誰かに足を引っ張られた、か?」
「!そ、そう…!それに、他の人は"お前か"って声を聞いてるみたいなんだけど、彼女だけ"見つけた"って言われたみたいで!」
「…その女、他にも何か言ってたか?」
「え、うーん…金魚の水槽落としたから、今日はツイてない日だったのかなぁって」
「ふうん…。 で、お前は?溺れたのか?」
「え、わ、私は…確かに溺れたけど、でも足つっただけだよ!」
「へぇ、足つった、ねぇ」
「…え?」
そのレンジの言い方に、思わずドキリとする。
「そりゃあ、"私は大丈夫"って思いたいだろうなぁ」
「ど、どういう意味…?」
「人の弱点は 心 が強いことだ。思い込みや感情が正しい判断の邪魔をする。現に…お前、赤 城 屋だと思ってるだろう?」
「あか…え、何?」
「いや、何でもない。とにかく、お前は自分が溺れた時の事を思い出せ。いいな?」
「…うん…」
「じゃあ、俺は兼太とプールに行くからお前は先に行ってろ。もう普通に出られるはずだ」
「分かった…。生勝さん、お茶ありがとうございました。美味しかったです」
「いいえ、どういたしまして」
「――ああ そうだ、カワセミ。お前、 まだ喉が渇くか? 」
「かわ、く…けど、どうして?」
立ち上がった未緒が振り向くと、思いの外レンジは強い瞳で未緒を見つめていた。
「いいか、カワセミ。危険な目に遭ったら、先手必勝だぞ?」

(…どういう意味なんだろ?)
店から出ると、確かにそこは商店街に通じていた。ただ愛衣菜の姿はない。帰ってしまったのだろうか。
未緒はふうとため息をついてシャッターを見上げた。
――溺れたあの日。
(確かにつったはず…痛かったし)
なんなんだろうと思いながら、カバンからまたペットボトルを取り出す。
だがそこでふと…レンジの声が蘇る。そして気付いたのだ。
"お前、まだ喉が渇くか?"
(やたらと喉が渇くようになったの、溺れた日からだったような…?)

(…そういえば"先手必勝"って何?)
学校までの道すがら、レンジの言葉を考える。
レンジは全て分かっていながらも それを隠しているような言い方をするので聞いているこちらは混乱する。
未緒は はぁとため息をついて、とにかくプールへと急いだ。
正門から敷地内へ入り、人気(ひとけ)の無いグラウンドを抜けフェンスに囲まれたプールへ向かう。
ジリジリと肌を焼く日差しがプールの水面に反射して眩しい。
(…入りたい、水に触りたい)
未緒はボーッとした頭のまま、夢遊病者のようにふらふらした足取りで水へと近付いた。

―― 一方。
兼太と合流したレンジは彼を人のいない倉庫に入らせた。
「で、レン兄 何の用事?」
「カワセミの件でモアイちゃんを探してる。見つけられるか?」
「モアイちゃんね、分かった」
レンジが兼太を倉庫に入らせたのには理由がある。
レンジ自身はまだ実体を取っておらず、影を移動する生霊の姿なので他人の目に写ることはない。
だが兼太はそうもいかない。兼太の この姿 を他人に見られるわけにはいかないのだ。
兼太はいつもかぶっているニット帽をぐいとずらし額をさらけた。
そこには切り傷のような、五センチほどの線が入っていた。
しばらくすると、その傷口がぐりっぐりっと震え… ぱかりと開き、ギョロリとした目玉が現れた。
この目は壁や距離を飛び越え、術者の望むものを視せる目…いわゆる千里眼なのである。
「モアイちゃん…… いた!ここからそう遠くないみたい!」
「よし、急ぐぞ」

「…あれ?」
ひょいと首を傾げる。
私、何してんだろ?
未緒はプールの縁に座りながら水の中に手を伸ばす。
日差しをたっぷり浴びた水は飛び上がるほどの冷たさではないが、素足には気持ちがいい。
膝から下の水の世界に全身をたゆたわせられたなら なんと心地好いだろうか。
(水が欲しい…水…)
体が乾く。
頭が重い。
早く、水の中へ。
足だけでは物足りない。
…違う、私に足は無い。
私にあるのは水を操るための尾…
「…か…」
何…?
「お前か…」
え…何?
ふと目を開くと、目の前で水が不自然に盛り上がっていた。まるで何かがこちらに手を伸ばしているかのように…
「お前か!!!」
「!!!」
その水の中に、見たこともない男の顔が浮かんだ瞬間。
未緒の意識が途切れた。

――その頃、プールを目指して走っていた兼太とレンジは。
「?!」
「カワセミ…」
突然感じた強い妖気に足を止めた。
この妖気は茶川高校のプールの方からだ。
「兼太、体借りるぞ」
「うん!」
レンジはずるりと兼太の体に入り込むと、ものすごいスピードでプールに向かって走り出した。
そのまま跳ね上がり、二メートル近いフェンスに手をかけ飛び越えてしまう。
その勢いのまま兼太の体からずるりと抜け出す。
「カワセミ!!」
二人の目の前には、激しく波打つプールと、 その上 にゆらりと浮かぶ未緒の姿があった。
とはいえ、その姿は普段の未緒とは大きく異なる。
髪は大きく広がり、目は爛爛と紅く輝き…口元には冷たい笑みが浮かんでいる。
「こっちだ妖怪!」
そんな未緒が、レンジの声に反応し一際大きく笑ったかと思うと、飛びかかるようにしてこちらへ向かってきた。
「レン兄!」
兼太が帽子の鐘をチーンと鳴らす。
湯気の中で実体を取ったレンジは、襲いかかってきた未緒を両腕で抱き止め、懐に隠し持っていた玉付きの簪を素早くその髪に差し入れた。
「…っ?!」
その瞬間未緒の顔に苦痛の色が広がったが、レンジが 未緒! と鋭く名を呼べば、その瞳から紅い色が抜け…
「…レ、ンジ?」
「よくやった」
「え…」
「立てるか」
「う、ん…」
「お前のおかげで悪霊が実体を持った」
レンジは未緒の体を支えていた手を離し、プールへと近付き腕を水の中へ突っ込んだ。
「さあ!お前には俺が引導を渡してやろう。覚悟しろ、悪霊」
ずるずるずる…と。
レンジ腕を引けば、先程水中から未緒に手を伸ばしていた男が怯えた表情で引きずり上げられた。
「あんたの記憶 今から俺が あっため直してやるからよ」
更にぐいと引き寄せれば男は水の中に戻ろうともがいた。
「…だがあんた、今ので思い出したんじゃないのか?」
「!」
その言葉に男の表情がみるみる変化していく。怯えから、恐怖、怒り、憎しみ…
「やっぱりな」
レンジはゆっくりと男を手放した。
「あんたは自分を殺した妖怪、金魚女郎を探していたんだろ?そして数百年経って見つけ出したんだ…そこにいるカワセミを」
金魚女郎、そしてカワセミの名を聞いて、男の全身からドス黒い影が吹き出した。
「単純な『恨み』だ」
レンジは取り出した扇で、男の体から黒い影…恨みの塊をザクンッと切り取ってしまう。
「朝飯前だな」
逃げようとしたその塊は、レンジに捕まり呆気なく平らげられてしまった。
それをポカンと見ていた男の表情が段々と晴れやかなものに変わり…にっこり笑ったかと思うと、やわらかな光に包まれ消えてしまった。
「さて…帰るか、赤偽屋に。行くぞ兼太、カワセミ」

――「その簪、身につけている間は妖力を制御できるから大事にしろよ」
赤偽屋の奥の部屋に入ったところで、レンジから一冊の古い本を渡される。
「何?」
「いいから、見ろ」
「…"金魚女郎"…?」
人の姿をした妖怪。
真っ赤な瞳で人を探しては、目の合った人間を殺してしまう。
自由に水を操ることが出来、常に宙に浮いている。
川に捨てられた金魚の怨霊という説もあるが…
「真っ赤な髪に、真っ赤な着物の姿を金魚に例えているという説もある…って」
「分かったか?お前は矢札町のローカル妖怪、金魚女郎の生まれ変わりだ」
「ちょ、ちょっと!ひとつも意味分かんないんだけど?!」
「なんだ、分からないのか?」
「分かりません!!」
「金魚女郎は人の姿をした妖怪で…」
「そこは分かったわよ!そこじゃなくて!私…妖怪の生まれ変わりなの?!」
「ああ」
レンジはあっさり頷くと、生勝の淹れたお茶に手を伸ばす。未緒の前に置かれた湯呑みは既に空になっている。気付いた生勝が急須を取りに立ち上がった。
「でも…でも、私今までそんな…妖怪、なんて」
「喉、乾くんだろ?」
「!?」
「水に溺れた事が引金となって、お前の中の妖気が溢れ出たんだろう」
「じゃ、じゃあ…さっきの霊は、前世の私が殺したの…?!」
「よく分かってるじゃないか。 ――初めてお前に会った時、俺は一目でお前が金魚女郎の生まれ変わりだと気付いた。全身から妖気が滲み出していたからな」
レンジの言葉に未緒はハッとする。
そうえば…確かに、レンジは未緒から何かを聞く前に言ったのだ、『異常に喉が乾くなら、俺の所まで来い』と…。
何故そんな事が分かるのかと不気味に思ったが、そういう事だったのか。
「そして今日モアイちゃんから最近起きている水辺の事故の話を聞いたら、どれもこれも矢札町内で起きた事ばかりだった。それにお前は言っていただろう?今日溺れた生徒は 金魚の水槽を落とした って」
「き、金魚…!」
「そう。お前、その時水の中に居なかったんじゃないか?だからお前につられてやってきた悪霊は水中にいたその生徒の 金魚の匂いに 相手を間違えたんだ。そしてさっき。妖怪と化したお前の姿に悪霊は記憶を取り戻した」
「で、でも!じゃあ、どうして私は溺れたの?」
「大方、お前の中で金魚女郎が目を覚ましたんじゃないのか?水を掻こうと尾を振ったのに、お前にあったのは尾じゃなくて足だった」 「……は、あ…」
何それ…。
未緒はしばらく固まっていたが、やがて盛大にため息をついた。 肩の荷が下りた…と言いたい所だが、今までに起きた一連の事故やとんだとばっちりを喰らった形になる鳩ヶ谷に申し訳なさすぎて結局落ち込む。
…だが。
「さすがだね」
「ん?」
「さすが、レンジ。人生相談赤 城 屋、だもんね」
「……」
「え?何で黙るの?」
見ると、兼太と生勝も顔を見合わせている。
「…あの看板は昔の名残で、俺はそんなものやっているつもりなどない。ただあれがあれば藁にもすがろう なんて奴が集まるだろ?赤の他人に悩みを打ち明けるなんて、よっぽど精神が参ってるんだよ。悩みは弱みだからな。そんな人間であれば簡単に感情を左右できる」
「…じゃ、じゃあ… どうして、人間に直接手を出さないの?本当の所はどうあれ、結局やってることは悪霊退治…人助けでしょ?」
「……」
レンジはその問いに口を閉ざし…すぐに、ふっと微笑んだ。
「俺はな、この店に封印されてるんだ。昔は色々やったからな。…でも独り封印されて流石に反省したんだ。そして考えてみた。この町は数多の悪霊がはびこり後を絶たない。しかしそれも感情を喰らって消してしまうという俺の能力でなら撲滅できるんじゃないか、ってな」
でも独りじゃ何も出来ないだろ、とレンジは続ける。
「すると矢札の土地神が俺の影抜けの力を、契約した十匹の妖怪に限るということで解放してくれたんだ」
レンジがちらりと視線をやるのでそちらを見れば、兼太と生勝がにこりと笑った。
「さて。こんな話をしたのには訳がある。その契約を結ぶ妖怪は"生まれ変わり"も適用内なんだ。 ――川瀬未緒。ここまで言えば分かるだろ?矢札町の平和を守るため、その力と影を俺に貸してくれないか」
「!!も、もちろん!私で良ければ喜んで!」
未緒が笑顔で頷くと…その髪につけていた簪の玉が、ずずずっと紅い色に変化した。
と…レンジの衣の玉の一つもまた、同じ色に変化した。これで契約完了…ということなのだろう。
それを確認するなり…レンジが、微笑みを消した。
「お前は愚かだ。勘は鋭いくせに警戒心がまるで無い」
「へ…?」
「言っただろ?思い込みや感情が正しい判断の邪魔をする…。さあ、見て来い、表の看板に、 何て書いてあるのか 」
「……っ?!」
未緒は慌てて店を飛び出し…看板を見上げた。
「人生相談…赤、偽屋…?!」
「矢札の土地神は交換条件を出したんだ」
「キャッ?!」
突然自分の影からレンジが現れ、小さく悲鳴を上げる。レンジは満足そうにニヤリと笑うと、未緒の前に立ちふさがった。
「土地神はこう言った。 この町の悪霊を全て退治出来たらお前を解放しよう、と。…さあカワセミ。俺達と一緒に復活させてくれ。 人生相談 赤偽屋を」

*  *  *

「もう、何なのよ、あの嘘つき妖怪…!!」
帰り際、子供のように べぇっ と舌を出された。
その舌は見間違えもなく二枚で…それはつまり、妖怪・二枚舌に間違いないわけで…
「…でも、今日…"未緒"って、呼んでくれた、よね…」
はっきりとは憶えていないのだが、プール際で、そう呼ばれたような気がするのだ。
「よくやった、って言ってくれたし…根っからの悪い奴って、わけじゃ…ない、よね?」
未緒は足を止めて振り向いた。
赤偽屋…無人通りは、もう遠い。
「…仕方ない、ちょっと付き合ってやるか!」
未緒はにこっと笑うと、家に向かって再び歩き始めた。